都市河川改修事業の費用対効果評価:手法、課題、意思決定への活用
はじめに
都市河川の改修事業は、治水安全度の向上、環境改善、親水空間の創出など、多様な目的を持って実施されます。これらの事業は多額の公的資金を投じるものであり、その効果を最大限に引き出し、社会全体の利益に資するためには、事業の妥当性や効率性を客観的に評価することが不可欠です。公共事業の評価手法として広く用いられているものの一つに、費用対効果評価(Cost-Effectiveness Analysis: CEA)があります。本稿では、都市河川改修事業における費用対効果評価の基本的な考え方、具体的な手法、適用上の課題、そして評価結果をどのように事業の意思決定プロセスに活用するかについて詳述します。
費用対効果評価の基本的な考え方と手法
費用対効果評価は、特定の目的を達成するために複数の代替案が存在する場合に、最も少ない費用で最も大きな効果を得られる案を選択するための分析手法です。費用便益分析(Cost-Benefit Analysis: CBA)が効果を金銭価値に換算して費用と比較するのに対し、費用対効果評価では効果を物理量や特定の指標で測定し、単位効果あたりの費用を算出することで代替案を比較します。
都市河川改修事業においては、洪水防御能力の向上(例:計画高水位以下の頻度)、水質改善(例:BOD濃度低下)、生物生息空間の創出(例:特定種の増加)など、事業の主要な目的に対応する効果指標を設定します。評価の基本的なステップは以下の通りです。
- 事業目的と効果指標の設定: 改修事業によって達成すべき目的を明確にし、それを定量的に測定できる効果指標を選定します。例えば、治水目的であれば、対象区間における洪水の浸水面積減少率や浸水被害額軽減率などが考えられます。
- 代替案の特定: 目標達成に向けた複数の技術的・工法的な代替案を検討します。例:護岸工法の違い、河道掘削範囲の差、遊水地の設置など。
- 費用算定: 各代替案の実施に要する総費用(初期投資、維持管理費など)を算定します。将来にわたる費用については、適切な割引率を用いて現在価値に換算します。
- 効果測定: 各代替案によって得られる効果を、設定した効果指標を用いて測定または予測します。この際、事業実施「ありき」の場合と「なしき」の場合を比較し、純粋な事業効果を評価します。
- 費用対効果比の算出: 各代替案について、「総費用 / 総効果量」あるいは「単位効果量あたりの費用」を算出します。この値が小さいほど、費用対効果が高いと判断されます。
都市河川改修事業における適用上の課題
都市河川改修事業に費用対効果評価を適用する際には、いくつかの課題が存在します。
多様な効果の評価
都市河川改修は、治水や利水といった伝統的な機能に加え、環境保全、景観形成、親水空間の提供、都市のアメニティ向上など、多岐にわたる効果をもたらします。費用対効果評価では、通常、主要な一つの効果指標に焦点を当てることが多いですが、都市河川の多機能性を考慮した場合、単一の効果指標だけでは事業全体の価値を適切に捉えきれない可能性があります。複数の効果を統合的に評価するための枠組みや、異なる効果指標間での優先順位付けが課題となります。
非市場価値の扱い
環境改善や景観向上といった効果には、市場価格が存在しない「非市場価値」が多く含まれます。費用便益分析ではこうした非市場価値を金銭換算する手法(例えば、コンティンジェント評価法やヘドニック価格法)がありますが、費用対効果評価では効果を物理量で捉えるため、これらの価値を直接評価指標に含めることが難しい場合があります。生態系サービスの向上や生物多様性の保全といった効果を、どのように定量的な指標として設定し、費用との関係性を評価するかが重要な論点です。
長期的な効果と不確実性
河川改修の効果は、事業完了後も長期にわたって継続し、さらに気候変動や社会環境の変化によってその効果が変動する可能性があります。特に、生態系の回復や水質改善効果は時間をかけて現れることが多く、将来予測の不確実性が伴います。長期的な効果を評価に適切に組み込み、不確実性をどのように考慮・表現するかが、評価の信頼性を左右します。
データの制約
効果を定量的に評価するためには、正確な観測データや予測モデルが不可欠です。しかし、都市河川においては、過去のデータが十分に蓄積されていなかったり、複雑な都市環境が予測を困難にしたりする場合があります。特に、環境効果や社会効果に関するデータを取得・分析するための体制構築が課題となることがあります。
意思決定プロセスへの活用
費用対効果評価の結果は、都市河川改修事業に関する意思決定において、重要な判断材料の一つとなります。
代替案の比較検討
複数の改修計画案や工法案が存在する場合、費用対効果比を比較することで、効率性の観点から最適な案を選択する根拠となります。例えば、同じ治水効果を得るために、どの工法が最も費用を抑えられるか、あるいは同じ費用でどの案が最も大きな環境改善効果をもたらすかといった比較が可能です。
優先順位付け
限られた予算の中で複数の事業箇所が存在する場合、費用対効果評価を用いて各事業の効率性を比較し、優先的に実施すべき事業を判断する際の参考とすることができます。ただし、費用対効果だけでなく、事業の必要性(リスクの高さなど)や地域住民の意向なども総合的に考慮する必要があります。
説明責任の履行
公共事業として実施される都市河川改修事業は、納税者に対する説明責任が求められます。費用対効果評価の結果は、事業の効率性や妥当性を示す客観的な根拠となり、事業内容や必要性について関係者や市民に説明する上で有効なツールとなります。
評価結果の限界の理解
費用対効果評価は有効な分析手法ですが、万能ではありません。特に、非市場価値や多機能性といった都市河川の特性を十分に捉えきれない場合があることを理解し、評価結果を唯一絶対の判断基準とするのではなく、他の様々な視点(例えば、社会的な受容性、環境影響評価、景観への配慮など)と組み合わせて総合的に判断することが重要です。透明性の高い評価プロセスと、評価結果の限界に関する適切な情報開示が求められます。
今後の展望
都市河川改修事業における費用対効果評価の精度向上と、意思決定プロセスへのより効果的な活用に向けては、以下のような取り組みが考えられます。
- 都市河川特有の多様な効果(環境、景観、コミュニティ形成など)を適切に評価するための指標開発と測定手法の確立。
- 非市場価値を評価に取り込むための手法の研究・適用。
- 長期的な効果や不確実性を考慮した評価手法の高度化。
- 事業実施後のモニタリング結果を評価にフィードバックする仕組みの構築。
- 費用対効果評価の結果を、他の評価軸(例えば、リスク評価や社会的公平性など)と統合して意思決定を行うためのフレームワーク開発。
これらの取り組みを通じて、都市河川改修事業がより効果的かつ効率的に実施され、持続可能な都市環境の実現に貢献することが期待されます。
まとめ
都市河川改修事業における費用対効果評価は、限られた資源の中で事業の効率性を追求し、最適な意思決定を行うための重要な分析手法です。多様な効果の評価や非市場価値の扱い、長期的な不確実性といった課題はありますが、これらの課題克服に向けた研究や取り組みが進められています。評価結果を適切に活用することで、事業の妥当性や効率性を客観的に示し、関係者間での合意形成や説明責任の履行に貢献することが可能です。今後も、都市河川の多機能性を踏まえた評価手法の発展と、評価結果の意思決定プロセスへのより深い統合が求められています。